2020/01/22

| 西へ☆1

この日、
西の光に導かれ、
たどり着いた旅先で
バスを降りて見上げた空が
まるでライマーのようだと
笑ってしまった。


ラリマーみたい?



石のように見えるなんて
初めてだなーと
感じながら、
進んだ先は、甲斐善光寺。





拝観料を払って進んだ先に、
”この部屋に進むと、”幸運の鍵”にふれることができます”とか何とか
書かれていた文言についつられるような気持ちで、
「お戒壇廻り」なるものを
体験してみることにした。



金堂の下に位置するというその部屋は、
”心”という文字の形になっているらしく、
まさに”真っ暗”な部屋の壁をたどりながら
歩いた先に、
その”鍵”があるとのこと。



その時、
私の前にも後にも
他の人が来なくて...



真っ暗な部屋で
一人きりで
行ったり来たりしながら
試してみようかな、
やめておこうかな...と
もじもじしながら
行ったり来たりした。



迷いながらも、
恐る恐る、戻るたびに
少しずつ少しずつ先へ進んでみた。



暗闇でもしばらくしたら目が慣れてきて
”うっすら”見えてくるだろう、
なんて期待もしたが、



ところが
暗闇は本当に本当に真っ暗で
しばらく経っても
まーったく何も見えてこない。



目をぱちぱちさせても、
本当に本当に何も見えない。
真っ暗なのである。



一歩一歩、
恐る恐る足を進めるたびに、
次の一歩で、
”すとーん”と下に落ちてしまうのではないか??と
びくびくしてして
足が進まない...


(↑これって!
自分の”恐れの思考”が
そこに”存在しないもの”を創り出し、
恐れている状態!ではないかっ!)



けれど、
そんなはずはない。
ここはお寺である。
人に怪我をさせるようなことがあるはずがない!



そう考え直し、
勇気を振り絞って歩を進めた。



その時ふと、
今、心に宿っている”恐ろしさ”というのは、
例えば、”オバケ屋敷”で
前進することを怖く感じるような、
そのような”恐ろしさ”では
ないことに気がついた。



それは、
何か自分が手を出したことがないものに
初めて挑戦するような、
一歩前に出そうとするときに勇気を絞り出しているような、
そんな状態であるように感じた。



バンジージャンプをするときで
こんな気持ちなのかな?
(私はぜーったいにやらないけど!)



バンジージャンプで覚悟を決めて、
飛び降りる瞬間って
こんな感じなのかな?って考えた。




”へっぴり腰”で進んだ先に、
無事、その幸運の鍵(錠)にふれることができ!
めでたく、暗闇から解放された。



それと同時に、
自分の心の中にあった何かに対する恐ろしさを
乗り越えたような気持ちになった。



その部屋の入口の説明に、
”戒壇廻り”は、
暗いところを進む場所です。
いわゆる儀式です。
明るくては意味がないです。”
とあった。



まだ自分が挑戦したことがないことに
これから進んでいく勇気を
もらったような
そんな気持ちになり、



そして、
必要でもないのに
大事そうに、ぎゅーっとに握りしめていたものを
手放すことができたような、


一歩先へ進む勇気をもらったような、
心を鍛えてもらったような、
そんな気持ちになった。



何だか少し晴れやかな気持ちになって、
お寺を後にし
最寄の駅へ向かうと、
空がオッケーサインを
出してくれたような気がした。


太陽の下の雲に
うっすらと虹が☆


2 件のコメント:

  1. 神秘的ですね。そして恐怖とは色々あるんですね。「怖い」だけではない何か。文章から様々なことを感じています。オッケーサインもらえるかな?

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  2. yachiyoさん、ありがとうございます。そうですね。自分が安全だと思っている環境より実はもっと安全な環境があったりして。いろいろ感じてくださってますか!いい刺激となっているようだと嬉しいのですが☆ いつもありがとうございます!

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